vol 4「ピアノから声楽へ」

 大谷中学2年生の冬に、太田さだこ先生の指導を受けて始めたピアノ。
日曜も学校の守衛さんにお願いして、講堂のピアノで練習をしていました。
我が家にはピアノがなかったからです。
代わりに私は、家でも運指の練習が出来るようにと、画用紙に鉛筆と物差しを使ってピアノ鍵盤を描き、音の出ない練習を繰り返していたのです。

しかし、中学校で私が夢中になっていたのはピアノだけではありませんでした。
私は小学校の頃から球技が大好きで、中学校の先生に直訴してソフトボール部をつくり、投手やショートで活躍していたのです。
ソフトボールで突き指などしたら、ピアノ弾きには大変ですよね。
太田さだこ先生は、放課後、体操服に着替えてグラウンドに走って行こうとする私を仁王立ちで呼び止めて「今のあなたには、どちらが大事か、わかっているの?!」と大声で叱責しました。
それでも先生の眼を盗んで、ソフトボールは続けていました。

高校2年生になり、進路も気になりだす頃になりましたが、なんとなく「ピアノで進学したい」と甘いことを考えていました。
そんなある日、太田さだこ先生から言われたのは「大北さん、あなたの現在の実力では、とても大学のピアノ科に進学など無理ですよ。どう考えていますか」という、驚くようなひとことでした。

ところが、高校2年生の大北整子は、その場で「だったら、声楽科に進みます」と即答していました。
無知というのは、強いものですね。
今から思い返すと、何ということを言ったのか、自分に呆れてしまいます。

太田先生は一瞬あっけにとられたようすでしたが、すぐに「だったら、この場で歌ってみなさい」と言われました。
そして、歌い終わった私に「あなた、なかなか良い声をしているわね。
私は声楽を教えることはできないから、良い先生を紹介してあげる」と、その場で紹介状を書いていただきました。
阿倍野に住んでおられた橋本よしえ先生への紹介状でした。


(2009年10月1日)