vol 1「 ばあばあちゃん」のこと

古賀正男の名曲「誰か故郷を想わざる」。先週のピープルズで久し振りにリクエストされました。
「花摘む野辺に 日は落ちて みんなで肩を 組みながら…」霧島昇の名唱は今も耳に残っていますが、それとともにこの歌の情景に重なってくるのが故郷です。vol 1「 ばあばあちゃん」のこと私の故郷は河内長野です。1940年(昭和15年)12月12日、河内長野市野作町で生まれました。「ノサク」と読んでいますが、地元の人は「ノウサク」と伸ばして読んでいます。 
このあたりは国道170号線沿いで、今は市役所や警察署などが建ち並ぶビジネス街ですが、私の子どものころは長野の町の中心から少し外れた、高野街道の趣きが残っているところでした。

(近くの野に出て遊んでいる妹たち)

私の家には母方のお祖母ちゃんがいて一緒に暮らしていました。このお祖母ちゃんには大の仲良しのお婆ちゃんがいて、近くに住んでいました。私は二人のお婆ちゃんを呼ぶのに、祖母を「おばあちゃん」、祖母の友だちのおばあちゃんを「ばあばあちゃん」と呼び分けていました。「ばあばあちゃん」は白内障のため目が不自由でした。私はこのお婆ちゃんが外出するときは杖代わりのように、いつも連れ立って手をつないで外出していました。

散歩に行こうと近所の小川に行くと、いっぱいメダカが泳いでいました。
「ばあばあちゃん、メダカおるで」
と叫ぶと、ばあばあちゃんは見えぬ目を凝らして川面を見つめ、
「メダカの学校は 川のなか…」
と歌を歌って教えてくれました。
「誰か故郷を想わざる」の情景は、ばあばあちゃんと遊んだ水辺の風景に、いつも重なっていきます。
「生きたメダカを呑むと、目がよくなる」と言うので、私がバケツでメダカをすくい取り、ばあばあちゃんにあげると、ばあばあちゃんはメダカを呑みこみ、「ナリコもお呑み」というので、気色が悪いのを我慢して呑みこんだことがありました。

また、銭湯に行くのにも「ばあばあちゃん」の手を引いて、一緒に行っていました。その道すがら、ばあばあちゃんはずっと小さな私のために歌を歌ってくれていました。
私の「歌声の原点」は、ばあばあちゃんと過ごした時間にあったように思われます。

その後、「ばあばあちゃん」は大阪市内に移り住みました。大北家もそのごく近くに引っ越し、交流は続きましたが、晩年「ばあばあちゃん」は故郷の富山県に移り、その地で亡くなられました。

私の父は、持病があって身体が弱く、兵役を免れていましたが、戦局が悪化するなかで召集され戦地に赴きました。そして北支(中国北東部)で終戦を迎えました。
昭和21年のある日、軍靴の靴音をこつこつと響かせ、ガラリと家の扉を開けて、待ちに待った父が復員してきたのです。その姿を見た途端、お祖母さんはうれし泣き。
私は、「ナリコ、ナリコ」とひげ面のお父さんに玄関先で抱き締められました。頬ずりをされ、ひげがチクチクして痛かったのと、お母さんが放心状態で、呆然としていたのが今でも忘れられません。